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庭師と駒

ささやかな愛を伝えたいだけのペン、インクは紫で

「わたしB」で生きていくということ

就職活動をしている。

一ヵ月ほど我流でやってみたけれど箸にも棒にも引っかからず、留年で一年ダブっている僕より一歩先に社会人になった友達が「一度くらいはエントリーシートの添削を受けたほうが絶対に良い」と言うので、お世話になっているゼミの教授にお願いして見てもらった。手書きの履歴書のコピーをパッと見て、真っ先に彼は言った。

「まずさあ、この字が……字で引っかかってんじゃないかな」

僕は字がめちゃめちゃ汚い。どのくらい汚いかというと、いろんな人に「小学生の字みたいだ」とか「へにゃへにゃしてる」とか言われ中学時代の塾の先生には「お前字で落ちるぞ」と言われ僕自身も「な」と「る」、「を」と「そ」の区別がほとんどないな、と思っている。僕なりに線を引いて幅を整えたり時間をかけて書いたりはしているのだが、それでもやはり先輩方の履歴書と比べると圧倒的に字が汚かった。でも字が汚いのはまあ、しょうがない。しょうがなくはないけど、努力でカバーするしかない。それからも先生は様々具体的なアドバイスをくれて、最後にこうまとめた。

「真実をそのまま書きすぎなんだよなあ」

そう、そうかもしれないっすね。僕は笑った。就職活動は自分自身を売るセールスなのだ。生涯賃金三億円をかけた、いかに自分をよく見せるか全国大会だ。確かに僕の自己紹介欄にはちらほらマイナスにもとられるであろう言葉があって改善点だと言われればそうだった。先生が僕のマイナス面を否定しているわけではなく「書かなかったらもっと書類が通るようになるよ」という意味での、本当の助言であることも十分理解していた。

「自分自身を出しすぎると、落ちた時にも傷ついちゃうし。少なくともここは、アイデンティティを出す場じゃないから」

「じゃあ、それ用に作った感じの……『わたしB』でいけばいいってことっすね」

「そうだね」

社会に入ったらみんな自分自身のままではいられない。おとな、という形になる。みんなそうなんですか、と聞くと先生が頷いて、僕は言った。

「みんなかわいそうだなあ」

企業説明会に行くと黒髪でブラックスーツを着た就活生たちが、同じような声で、同じような喋り方をして、同じようなことを採用担当に質問する。やり方を身につけている程度の差はあれど傾向は似通っている。僕はそれが本当に気持ち悪くて仕方がなかった。けれどあれはきっと、みんな「わたしB」なのだ。自分が行きたい企業に就職するために、必死になって作ってきたぴかぴかの自分。

 

この間のアルバイト、僕はある作業のために事務所のパソコンにつきっきりになっていた。昼休憩を終えて戻るとデスクの上に一枚のメモ紙があった。それはある従業員さんが書いてくれた、僕の就活を応援するメッセージだった。その人は僕の母親より少し若いくらいの年齢の女性で、年ごろの子供さんがいることもあってかいつも僕の将来について自分の子供のことのように気にかけてくれていた。そして今僕の就職活動があまりうまくいっていないことも知っていた。

「みなちゃんだったら大丈夫!!」

数行の中にはそんな言葉もあった。シフトの関係で彼女はもう退勤していて、帰り際にわざわざこれを書いてくれたであろうことも、落ち込んでいる僕を心配してくれたことも元気づけてくれたことも素直に嬉しかった。けれど僕はその時に、ほんの少し思ってしまった。

騙しているなあ。

僕だったら大丈夫なんて、俺そんな奴じゃねえんだけどなあ。ただそれっぽく見せるのがうまいというだけで。周囲と角が立たないのは自己主張しないからだ。誰の意見にも偏らず、まあそうかもしれないっすねと笑っていればいい。誰とも深く関わろうとしていないから、それができる。

バイト先の僕は、「わたしB」であるだろうか。そうかもしれない。イチから完璧に作り上げた自己というわけではないから、「わたし´」とかそんなところか。もしもこの先「わたしB」で生きていくなら、一生この「騙している」感じとお付き合いしなければならない。

 

真実を切り貼りして書くことや、うまく自分を使い分けることや、それによって後ろめたさを感じないようになることが、社会進出なんだろう。今少なくとも少しは上手にやれているところのある僕は、たぶんこのまま「わたしB」を使っていくこともできるかもしれない。実際、そうやってうまくやっている自分のことはそれほど嫌いではない。だけどそうなったら、キーボードの前で神経をキリキリ尖らせて些細な物音にも激昂しそうになる、少なくとも一番生きている、と思う瞬間の僕を、土の下に埋めてやらないといけないだろうか。そいつが大人しく荼毘に伏されてくれる気がしないから怖いんだけどなあ。

温厚な自分がもたらす整った日常を、全身の細胞が発火しそうなほど嫌悪する時がある。叫びながら走り出して行方をくらましてしまいたいと思う。バットとスコップを振り回していろんなものを壊す想像をする。そんな思いが自分の意図しないところで弾けたらと思うと、恐ろしい。みんなすげえなあこれやってんだもんな。

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ」と誰ともなく諭されたような気分になる。そいつがきっと「わたしB」だ。