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庭師と駒

ささやかな愛を伝えたいだけのペン、インクは紫で

こんにちは自我くん

自我の目覚めがめちゃめちゃ遅かったんじゃないかと思う。というか、つい最近のような気がする。

僕が「僕自身」という存在を意識したのはほんの一、二年間前のことで、じゃあそれまでどうやって生きていたのかというといまいち思い出せない。たぶん目の前にあるできないこと(僕は高校生の頃全然学校に行っていなかったし、大学もあんまり行けていない)とか、日々の生活でいっぱいいっぱいだったのだと思う。
なにもできない僕は周りの判断に従い、こころの暴走は文章に込めて昇華していた。そこに「僕」はいなかった。

自分、が立ち現れてきたのは、大学生になってアルバイトを始め、給与を得るようになってからだった。自分の判断で使えるお金があるとそこに選択が生まれる。大学が県内でもそこそこ都会の街にあるため授業が早く終わった日は駅ビルで洋服を見て回ろうとか近くのカフェでパソコン開いてなにか書こうとか、自分の行動を自分で決めることができた。
そうすると自分の本当に好きなものと嫌いなものがわかった。今あれだけ言いまくっている「食べることが好き」というのも、ほんの最近わかったことなのだ。身体の特性、おなかがすくとイライラしてしまうとか猫アレルギーであるとかそういうこともどんどん知った。

それから仕事を始めたのも大きかった。アルバイトとして働いてみたら、思ったよりもちゃんとできたのだ。最初にやった試食販売員のアルバイトでは人と話すことも大きな声で呼び込みをすることもあまり苦ではなく、ある商品で地域一の売り上げをあげることもあった。次にやったホテルの仕事も、二年ほどきちんとやっている。
俺には苦手なことがある。みんなが普通にできるようなことがまったくできないこともある。でも逆に得意で、できることもあるんだと思った。

選択の自由と能力を手にすると、自分、が生えてくる。
なにもできず、なにものでもなかった僕が、じわじわ形をとっていく。学校で学んだ心理学や社会学の知識を自分に当てはめると、自己を客観的に分析することもできた。

そして僕はどうなったかというと――怒るようになった。決定権がほしい、時間を自分のために使いたい、なにもできない人間として扱わないでほしい。そういうことを思いはじめた。今までは自分を押さえつけて相手に合わせられていたのにそれができなくなっていった。「僕」が、どんどん膨れ上がるのだ。無限増殖する自己をスコップでぶん殴って土の下に埋める! 正しく生きていたい! 平穏に生きていたいから! だけど堪えきれない! また殴る!

察しのいい人はもう気づいたと思う。これは思春期であり、反抗期だ。
……まじで? 思春期? 二十歳だいぶすぎてんのに? 酒も煙草も嗜んで怒られないいい大人だぜ?
でもやっぱり僕は思春期だ。思春期以外の何物でもない。

芽生えそうな自我に知らないふりをしていたり、それを無理矢理押さえつけてきたのは、きっとこの自我が膨張するに伴っておきる色々な軋轢に堪えきれる環境と精神がなかったからだと思う。僕は僕の自我が厄介なことにうっすら気づいていて、だからそれを出さないように、一生懸命頑張ってきたのだ。

自我は暴れる大きな化け物みたいで困る。傷つきたくないし傷つけたくないのでへらへら笑っていたいのにこいつがそれを許してくれない。だけどこの化け物が僕はわりと好きで、いなくなってもらっても寂しい。
いつまで寝かせてんだって感じでのたうち回る自我。大人になってやってきた思春期の面白いところは、それをある程度俯瞰で見られるところかもしれない。僕はお前に勝てないんだと思う。むしろその檻ぶっ壊して、傍観者面している僕を食いつくしてくれ。

今、就職活動で未来を決めなければならない岐路にいる。もうちょっと早く来といてもらえたら色々楽だったんじゃないかなと思うんだけど、今だからこそ来たのかなあ。
春はしばらく終わりそうにない。