庭師と駒

ささやかな愛を伝えたいだけのペン、インクは紫で

2016年4月15日 深夜

九州の中心で起きた大規模な地震の影響で、普段災害と無縁な僕の街も少しだけ揺れた。スマートフォン緊急地震速報の物騒な音をでろりろ鳴らして数秒後ぐらぐらするのが数回続いた。震源地は遠く避難するほどではない震度だったけれど、それでも小さな揺れとアラートは怖かった。揺れが落ち着くと家族はすぐに寝た。俺は、もしかしたらまた携帯がびーびーいうんじゃないか、次こそ大きい揺れが来るんじゃないかと思って、眠れなくなってしまった。4月15日の、深夜だった。

 

ベッドの上で横になって何とか寝ようとしても心臓がばくばくして止まらない。テレビをつけても災害情報ばかりだろうしかえって目が冴えてしまうのはわかっていた。こわい、どうしよう、でも寝ないといけない。全身がひどく緊張している感覚にとらわれていた時、ふと思い出した。

ああ、ラジオ、やってるじゃん。

金曜深夜一時すぎ、俺の大好きな芸人さん――バナナマンのふたりのラジオが放送されている時間だった。スマートフォンのアプリを起動して番組を選ぶと、イヤホンに楽しげな声が滑り込んでくる。その時二人が何の話をしていたか具体的には思い出せないけれど、身体中みえない縄でくくられているような気持ちだったのがするするとほどけていったのは、強烈に覚えている。特に設楽さんのゆったりした喋り声が鼓動を整えてくれて、言いようもないくらいほっとした。好きな人たちのおしゃべりが聞こえるというだけで狭まっていた気道が広がってうまく呼吸ができた。

以来、俺は努めてそのラジオを聴くようになる。金曜JUNK、バナナマンのバナナムーンゴールド。あれからちょうど一年が経った。あの日が金曜日でよかったと、本当に思う。

 

電波の向こうから聞こえる二人の会話はいつも中学生の放課後みたいだ。人にラジオを聴いている話をして、それってどんな番組なのと聞かれたとき、俺はいつも「メシの話と下ネタと近況報告しかしてない」と答える。某ジングルの言う通り「ち〇この話ば~っかりやないかこのラジオは」である。全部聞いているわけではないけれど、他曜日と比べるとかなり内容の学がないほうなんじゃないかと思う。節分の時なんて日村さんが大量の人間に群がられ恵方巻を口にねじ込まれケツに指を突っ込まれているバタバタした音声とうめき声が音楽に乗せて流れていた。いや全然わかんねぇよラジオじゃ。なんかすげえ大変な状況になってるってことしかわかんねえよ。でもそれを俺たちは腹を抱えて笑ながら聞いている。彼らはいつまでも、とことん、馬鹿らしい。

大人になっても放課後の中にいる。それは、自分たちが楽しむことで周りを喜ばせられる二人だからできることかもしれない。世の中のほとんどの人間は年を取るうちに放課後から抜け出さなければいけなくなる。そこに居続けることを、劣っていると嘲笑する人もいる。でも本当は、くだらないことでげらげら笑って楽しくしているのが一番いいんじゃないか。むずかしい顔をして戻れないことに目を瞑っていたいだけなんだ。

苦しい時追い詰められて何も考えられなくなった時、金曜日だと気づくとはっとする。まるで大好きな友達と会う約束をしているみたいに、もう少し頑張ろうと思える。番組が始まって10年になるという。俺はその一端しか知らないけれど、あの時間がこれからもできるだけ長く、ずっと、続いていってほしい。いくつになっても楽しげな彼らが、俺の希望であるからそう思う。

 

金曜日の深夜一時、一人の部屋でラジオアプリを起動する。44歳になったばかりの人と45歳間近の人がメシと下ネタと近況報告の話ばっかりしている。俺と、同時に盗み聞きしているたくさんの人たちが声を殺して笑う。永遠の放課後がそこにある。