某大手弁当チェーン店の弁当が大嫌いだった。僕にとってそれは愛されていないことの象徴であり、23時半決まった味の弁当に箸をつける瞬間は、心をきゅうと糸で縛られたように悲しかった。 僕の母は数年前までとある依存性のある遊興(察してほしい)に身を浸…
自我の目覚めがめちゃめちゃ遅かったんじゃないかと思う。というか、つい最近のような気がする。僕が「僕自身」という存在を意識したのはほんの一、二年間前のことで、じゃあそれまでどうやって生きていたのかというといまいち思い出せない。たぶん目の前に…
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