庭師と駒

ささやかな愛を伝えたいだけのペン、インクは紫で

過去の#短文 まとめ①

こんばんは、みなしろです。

Twitterのほうで時々やっている小説っぽい呟き#短文 ですが、そろそろ過去のものが溜まってきたのでこのあたりでまとめておこうと思います。

Twitterに流しっぱなしだと見返しにくいといろんな方から言われているので時々まとめないとですね……。

一番最初の頃に書いたやつも別のところで一度まとめているんですけど、あそこもうあんまり使ってないので、とりあえずこっちに移植しておく。

①は2016年分です。

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愛は幻想のむこう

 河合郁人の虚像を愛しているという自覚がある。
 彼はとても不思議な人で、その体の中に多彩な魅力を閉じ込めている。LEGENDコンサート「Red Sun」で見せた激しいエロティックさとかっこよさに対する、early summerコンサート「未来は明るいかい?」でのコミカルでポップな可愛らしさ。ザ少年倶楽部のMC席ではハキハキとした声でけたたましく笑いながら、オフショットやメイキングに映る彼はぽそぽそと細かい粒を繋ぎあわせるように喋り、顔の下半身がブサイクだと自虐するのにひと度シャッターを切られれば自信に満ちた目をした。こういう例は挙げれば挙げるほど、きりがない。普通ならあまりひとつのところでは重ならないはずの要素を、河合さんはいっぺんに持ってしまっていた。

「ジャニーズの誰が好きなの?」

 アイドルが好きなのだと話すとこう聞かれることが多い。知らないと思うんですけど、と前に置いてからグループ名と彼の名前を言う。首をかしげるその人に彼を紹介しようとして、いつもそこで言葉に詰まった。MC担当? お笑い担当? フットボールアワーの後藤さんに似てる。静止画だとかっこいい、って、自分で言ってる。モノマネが得意。まとめサイトに載せられていそうな知識をとりあえず並べる。ジャニーズらしからぬエピソードか、彼のジャニオタぶりを話せば大抵の人は笑ってくれるから、話はそこで終わりだ。僕はどこか、本当に伝えたいこととは違うんだよな、と思ったままでいる。
 誰かに河合郁人を伝えるとき、僕は努めてパブリックイメージと目に見えてわかることだけをつかった。それは、僕の愛している「河合さん」が、恐らく自分自身の世界の中にしかいないのだとわかっていたからだった。
 河合郁人というひとを、ひとつの言葉で定義するのは難しい。どんな風に表してもある側面がこぼれ落ちてしまう。かわいい、かっこいい、きれい、おもしろい。河合さんのファンの方々と話すと、それぞれが少しずつ違う河合さん像を抱いているのだとわかる。時には自分と正反対のこともある。彼を愛する人の心に住まう彼は、その魅力を示したように多彩だった。けれども僕たちは間違いなくひとりの人間に向かっている。僕は人の河合さんの話を聞くのが大好きだ。言葉を交わすうちその真ん中で彼のかたちが膨れ上がっていく。知らない君がそこにいて、正解がないのが良い。
 僕が愛しているのはこの目に見える「河合郁人」だ。愛される力と愛する力を香らせる不器用なひと。真剣で懸命ですこしさみしい。照れると首が赤くなるのがかわいい。木彫りの像に偶像としての威光を与えるのは拝む人の信心で、かみさまは結局自分の心の中にいる。僕はそういう風にしか、彼を好きでいることができない。

 名だたるスターに憧れ夢を追いかけ続けた青年は、アイドル河合郁人として愛されることを望んでくれている。

「あなたが嫌だって言うなら、俺は死なないよ。アイドルだから」

 彼がそう言ったことがあった。彼は概念かなにかになろうとしているのかと僕は思った。自分が投げかけたボールをどう扱っても自由、前からそんなきらいはあったものの、存在の有無までファンに任せてくれているとは思わなかった。アイドル河合郁人の死は、彼の虚像がすべての人の心から消えた瞬間訪れるのかもしれない。恐らく彼が憧れたアイドルとはそういうものだったのだろう。本物ではない自己を愛される覚悟が彼にはある。僕たちは、彼が造り出す「外側」に様々な思いを投影して愛することを肯定されている。僕たちがそうし続ける限り彼はアイドルでいてくれるのだ。それはとても幸運で、恵まれたことだと僕は思う。

#ふぁぼったフォロワーさんをイメージして小説の書き出し一文 のまとめ

 こんばんは、みなしろです。

Twitterのほうでタイトルのタグをやったのですが、軽い気持ちで始めたのに一文どころの騒ぎじゃなくなり、それぞれ小説冒頭と言ってもいいくらいの長さになってしまいました。

Twitterでは140字の制限がありますので、それに沿って変なところで区切ったり入れたかった表現を削ったりしたので、加筆修正してここでまとめたいと思います。

それでは、続きからどうぞ。

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「写真みたいな絵って、だったら写真でよくない?」

身も蓋もないことを。そう返すとクラスメイトは歯を見せて笑った。彼はきっとこんなホワイトボックスの中にいるより、誰もいない屋上で気の抜けたコーラを飲みながら授業をサボっている方がずっと映えるだろうと思った。ああそれで絵を描こう。硬いコンクリートには春夏秋冬の花を咲かせて、空には鮫や鯨を浮かべて、彼だけは写真みたいに、美しいままに。


 

  こんばんは。みなしろです。今回は「足りない」河合さんについて。

 河合さんは、何かと「足りない」と指摘されることが多い人だと思っています。

 「美形に一歩足りない」「喋り担当なのに語彙力やかしこさが足りない」「身長やスタイルが足りない」「アクロバットグループなのに体力が足りない」「ファンの気持ちを考える力が足りない」etc。

  この中で見た目にまつわることに関しては自分は全くそうだとは思っていませんが、(河合さんは世界一かわいいしかっこいいよ)それ以外は認めざるを得ないところがあります。あと、体力はねえ……塚田さんにも「河合が筋肉つけるのは(体質的に)無理!」と匙を投げられたみたいなので、もうどうしようもないですね。

 何にせよここに挙げたこと以外にも、グループの心臓、みんなをまとめる要であるところの彼は何かにつけああせいこうせい責任取れとやいのやいの言われている、というのが自分の印象です。まあ彼自身がやらかしてしまうことが多いのも否定はできませんが(Legendコンサートのうちわとかね)。

 彼の「足りない」部分についてマイナスの感情が全くないと言えば嘘になります。好きだからこそより良い人になってほしいと、声に出して批判や指摘をする人の気持ちも分かります。でも、自分はその、足りないところがとても好きなんです。

 

 2014年10月5日現在、河合郁人26歳。本当ならとっくに人間として完成しているはずの年齢です。他のメンバーと違いジャニーズ以外にほとんど興味のない彼は、本当にいろいろな穴ぼこを残したまま大人になりました。それって普通あり得ないことなんですよ。どこかで絶対常識や世間体を流し込まれて、一般の形になるんです。そうならなきゃいけない。でも、彼はそれで許されるし、そのままで愛されるべきだと思っています。

 河合さんは、歌もうまいダンスもできる演技も悪くない、頭の回転は人並み以上、単純なトークのスキルだけで言えばかなりのものですし、自分に厳しいストイックな姿勢は尊敬の念すら抱かせます。先のLegendコンサートでは圧巻の総合演出を見せてくれました。足りないところを補って余りある良い部分がいっぱいあります。

 でも、例えば彼が今からサラリーマンになったとしたら、ものすごく困るでしょう。中学レベル以上の漢字は読めません。恐らくコピー機もまともに使えない。よく喋りますが相手方の言っている難しい言葉がわかりません。普通に「○○ってなんですか?」とか聞いてしまう。お前はちゃんと学校行ってたのか!? いやああんまり行ってないんですよね。そんな彼が、大勢のジュニアに指示を出し大人たちの中であれこれ意見を言い、影からグループを支えている。

 この、足りないところと足りすぎているところのコントラストが良い。いわゆるギャップ。かわいさとかっこよさ、楽しさとせつなさ、彼はいろいろなギャップを持っています。これもその中の一つで。上へ下へとジェットコースターみたいに振り回されて、怖いはずなのに楽しくて、気付いたら降りられなくなっている。それがこの一年ぽっちですが河合さんを追いかけてきて感じた、彼の大きな魅力です。虚構と非日常の象徴のような、アイドルでなければ絶対に存在しえない危ういバランスを持った人。だから自分は彼を追いかけて、目を離さずにいます。彼みたいな人は幻想の中にしかいられない、だからこそアイドルとして応援することに意味がある。彼がもし多方面に足りていて、このバランスが落ち着いていたら……正直、ここまでのめりこんでいたかどうかわかりません。

 

 きっと、グループの要としては、もっとしっかりしなきゃいけないんでしょう。なかなかに個性派ぞろいのメンバーの中で、いちばんの常識人になって周りを冷静に見て、ファンの意向もきっちり汲んで。誰よりも頼られる存在であらねばならない。彼自身もそうありたいのだろうなあと思うことが、よくあります。

Q.もしも新たな人生を手に入れられるなら、どんな人生を送ってみたいですか?

A.もう一度、自分の人生をゼロからやりなおして、賢い人間になりたい。

――ミュージカル「ファウスト」パンフレットのインタビューより

  彼は、たぶんわかっているのだと思います。自分が「足りない」人間であること。そこを充足させろと多くの人に求められていること。そして求められれば全部やってしまう。本当になりたかった自分を捨ててでも「そっち方面じゃない」という一言に従い貫き続けている三枚目、ファウストやツアーに向けての体に負担をかけるような急激なダイエット。背の砕けるほどの荷物を負って、「でもまだまだいけるから」と笑ったりする。歌、演技、ダンス、アクロバット、それぞれに自分より上手い人がいる中で、何とか輝ける場所を見つけて懸命に励んでいる。その姿勢には本当に頭が下がるばかりです。

 ただ、河合さんはちゃんと求められていることをやらなければと思うあまりに、空回りしてしまうことがあります。10人の自分のファンを笑顔にすることより、100人の他人に笑われることを選んでしまったり。 そういう時はたいてい嵐のような批判が巻き起こって……河合さんの周りはプラスもマイナスも熱量の大きい方が多いので、批判も凄まじい勢いになります。一年の間に何度も見ました。でも、河合さんが100人の声を聞いてしまうのは、ただ単純に「そっちのほうが声がでかいから」なんじゃないのかなあ、と自分は思っています。彼なりにやるべきだと思ったことをやっただけであることが多いんですよね。

(10人のほうはファンなんだから俺の気持ちわかってくれるよね? なところもありますが、その話はまた今度)

 でも批判が起こるのは仕方がない。それでそういう時、多くの人はこう言います。「空回ってんじゃねえ、しっかりしろ!」と。その人たちは河合さんのことが大好きで、彼に絶大な信頼を寄せていて、彼ならできると信じて疑わない。それもまた愛ですからあっていいと思います。でもまだ彼による成功劇を(数という意味で)それほど見ておらず、そもそも他人に期待するということがあまり好きではない自分は、正直最初「そこまで求めるか、すっげー厳しいな」と思いました。嵐は強くとも結構速く過ぎ去ることも学びましたが。ですが、かわいいあの子は常に愛されていてほしいしそれに値すると思っている自分にとって、彼が「足りないところを埋めろ」と大勢に詰め寄られている様を見るのはあまり穏やかではないです。とても胃が痛い。頑なにどこかでふざけることをやめない彼の、まるで役割に囚われているかのような姿を見るときにはもっとつらいです。足りないところを埋めるためにしんどい思いをしたり傷ついたりするくらいなら、埋めなくてもいいのに。そのままでじゅうぶん素敵なのに。

 成長を強く求められ続ける彼は、自分を好きでいてくれている人の多くが今そこにいる河合郁人を愛していることに、いつまでも気づきません。いつも、何かになろうとしているように思います。今の自分ではない何かに。

 かといって「だからあんまり求めないであげて」と言えるほど持論に自信はありません。いろいろ言ったのですが8割程度は「足りないきみが好きだからそのままでいてよ!」というただの、個人的な、エゴです。自分がここで何を言おうが嵐は起こるし、また過ぎていくでしょう。自分は10人のファンのうちのたったひとりです。なんの力もありません。きっと小数点で切り捨てられます。

 ですが、100人の他人が彼を指差して笑い、9人のファンが嵐を起こしても、なるべく、なるべくなら、「そういうきみが好きだよ」と言っていたい。言えそうなら。盲目または思考停止です。あるいは彼に対して寛容な自分への陶酔。でも、100人の声と起こった嵐はどうしたって届くでしょうし、ならわざわざ自分が胃を痛めて言うこともないんじゃないかなと。そして安心してそれが言えるのは、それでも前に進んでいっちゃう人だとわかっているからかもしれません。結局自分も彼に期待して、背負わせているんですよね。いや、彼がそれすら背負ってしまうのか。分かりませんが……でも、やっぱり言いたいから言います。言い続けます。

 足りなくて危うくて未完成な河合郁人が、そのままのきみが、この世の誰よりも愛おしいです。

アイドル短歌たち、そのいち

 こんばんは。
 Twitterはてな上で行われているらしい「アイドル短歌」なるもの。
 自分は好きな人やものに対して何か文章を書かずにはいられない性質でして、一年ほど前河合郁人さんのファンになったころから一人こっそりと彼についてたんかのようなものを詠んでおりました。
 そしてある日見つけた「#アイドル短歌」というハッシュタグ。聞けばいろんな方が、ジャニーズジュニアさん等々について短歌を詠まれているそうではないですか。でも、A.B.C-Zでやってる方は見たところいらっしゃらないなぁ……じゃあ、自分が参加しよう! そしてできたら皆さんの河合さん短歌が読みたい! と、先月の終わりごろから細々と活動を開始しました。
 数がある程度増えてきたので、ここで一旦まとめて公開させていただきます。というかこのためにこのダイアリーを作ったんですけど。

 それでは、続きからどうぞ。

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はじめまして

はてなブログ作ってみました。
今のところは短歌やらの置場になりますが、何か長文が書きたくなった時にでも利用できたらいいかなぁと思っております。よろしくお願いいたします。